2022年12月09日
のことを優先するほう
旅行のホテルでの朝、5時から起きて「一緒に遊ぼう」と、親の別部屋に行ってトランプを持ってきて準備していた下男児Kの要求をむげに断ったことをわたしは気にしていた。
あの時は同室の3人(ジジババ、上男児Y)全員が皆んな用事(ジジババ)やTVを見たかった(上男児Y)ため、下男児Kのリクエストを断った。
しつこく、遊ぼうよー、と下男児Kはアピールしていたが、皆んなにお断りスルーされ、しくしく泣き出した。
泣いてもなだめるわけじゃなし、トランプに付き合うわけじゃなし、3人ともそれまでの自分の行動を黙々と続けた。
「ごめん、これ今やらないといけないから遊べないのよ」とはわたしは言ったが、下男児Kは、しくしく泣くばかり脫毛學生。
遊べないものは遊べない。
「ひとりでトランプしろ」と上男児Yに言われ、三角座りして下男児Kは膝をかかえていた。
もう小学2年にもなって、いくらなんでもそんな自分の思いが達成できないからって、めそめそしているのには、可哀想でもあり、また、でもなあ、、、と、わたしは自分のことを優先するほうが大事と強行した。
とは言っても、自分の用事なんて仕事でも緊急事態でもなんでもない自由度の高いお遊びなのだが。
後でママに、この、めそめそ事件を報告すると意外な一言が返ってきた。
「Kは、大人は子供の要望を聞いてくれなくてもいいんだ、無視してもいいんだ、と学んだんじゃないCEF 課程?」
無視した我々が悪いかのような発言にわたしはいささか驚いた。
朝5時から旅先のホテルで子供のトランプに付き合わなければ非難されるのか?
何もすることがないのに、とか、気が進まないならいざ知らず、用事があるという歴然とした理由があるにもかかわらず。(が、たいした用事ではないところが堂々と胸を張れないところ)
単なるトランプではあるが、自責の念を持たなければならないのか、と、わたしの問題意識として脳内に引っかかっていた。
と、長々書いた。
そんなこんなで、そろそろYK兄弟が来る時間になっても来ないと、先日の旅行が頭に浮かんだ。
そういう事情があり、トランプ事件の翌日に本人Kに直接「ごめんねー」と謝ったものの、Kは深くこころを痛めて、ばあちゃんなんか嫌いになっていたらどうしよう、と懸念した。
しかし、孫の言うことばっかり聞かないばあちゃんである。
自分のことも優先することもある。
折り合いをつける。
気に入られるために、なんでもハイハイと要望を飲んでいたらロクなことがない。
フロアは傷だらけ、椅子やソファはクタクタ、べたべたぼろぼろ、仕方ないといってももう10年が経ち、まだ下は2歳(さらに次女のところには、1歳児もいる)、ばあちゃんの生活を脅かす。
なので、そこは、お互い調整が大事なのだ。
あんなに尽くした孫なのに、、、と将来、寄り付かなくなって嘆くよりは、
あまり無理に頑張って尽くさない。
自分が出来る範囲でする。
やがて寄り付かなくなる日は必ず来るから、後悔しないように今の孫たちとの日常を楽しむ。
今、将来、さじ加減が必要だ。
自分や周りに、あまり期待しないこと。
評価を求めてはいけない。
楽しみながら、出来る範囲で奉仕すること加拿大留學。
自分が、自分の祖母を見て、
子供たちから、子供たちの祖母を見て、
孫たちからわたしを見て、
孫育ても順送りかなと。
あの時は同室の3人(ジジババ、上男児Y)全員が皆んな用事(ジジババ)やTVを見たかった(上男児Y)ため、下男児Kのリクエストを断った。
しつこく、遊ぼうよー、と下男児Kはアピールしていたが、皆んなにお断りスルーされ、しくしく泣き出した。
泣いてもなだめるわけじゃなし、トランプに付き合うわけじゃなし、3人ともそれまでの自分の行動を黙々と続けた。
「ごめん、これ今やらないといけないから遊べないのよ」とはわたしは言ったが、下男児Kは、しくしく泣くばかり脫毛學生。
遊べないものは遊べない。
「ひとりでトランプしろ」と上男児Yに言われ、三角座りして下男児Kは膝をかかえていた。
もう小学2年にもなって、いくらなんでもそんな自分の思いが達成できないからって、めそめそしているのには、可哀想でもあり、また、でもなあ、、、と、わたしは自分のことを優先するほうが大事と強行した。
とは言っても、自分の用事なんて仕事でも緊急事態でもなんでもない自由度の高いお遊びなのだが。
後でママに、この、めそめそ事件を報告すると意外な一言が返ってきた。
「Kは、大人は子供の要望を聞いてくれなくてもいいんだ、無視してもいいんだ、と学んだんじゃないCEF 課程?」
無視した我々が悪いかのような発言にわたしはいささか驚いた。
朝5時から旅先のホテルで子供のトランプに付き合わなければ非難されるのか?
何もすることがないのに、とか、気が進まないならいざ知らず、用事があるという歴然とした理由があるにもかかわらず。(が、たいした用事ではないところが堂々と胸を張れないところ)
単なるトランプではあるが、自責の念を持たなければならないのか、と、わたしの問題意識として脳内に引っかかっていた。
と、長々書いた。
そんなこんなで、そろそろYK兄弟が来る時間になっても来ないと、先日の旅行が頭に浮かんだ。
そういう事情があり、トランプ事件の翌日に本人Kに直接「ごめんねー」と謝ったものの、Kは深くこころを痛めて、ばあちゃんなんか嫌いになっていたらどうしよう、と懸念した。
しかし、孫の言うことばっかり聞かないばあちゃんである。
自分のことも優先することもある。
折り合いをつける。
気に入られるために、なんでもハイハイと要望を飲んでいたらロクなことがない。
フロアは傷だらけ、椅子やソファはクタクタ、べたべたぼろぼろ、仕方ないといってももう10年が経ち、まだ下は2歳(さらに次女のところには、1歳児もいる)、ばあちゃんの生活を脅かす。
なので、そこは、お互い調整が大事なのだ。
あんなに尽くした孫なのに、、、と将来、寄り付かなくなって嘆くよりは、
あまり無理に頑張って尽くさない。
自分が出来る範囲でする。
やがて寄り付かなくなる日は必ず来るから、後悔しないように今の孫たちとの日常を楽しむ。
今、将来、さじ加減が必要だ。
自分や周りに、あまり期待しないこと。
評価を求めてはいけない。
楽しみながら、出来る範囲で奉仕すること加拿大留學。
自分が、自分の祖母を見て、
子供たちから、子供たちの祖母を見て、
孫たちからわたしを見て、
孫育ても順送りかなと。
Posted by kdlekgy at 15:20│Comments(0)