性が見えるよう
一日、ぼーっとして考えたが、一日の前半と後半では内容、テイスト、温度が違った。
ブログを書くとなんだか締まるような気がする。
考えを文字に起こすと、きゅっと考えがまとまるような、、、方向性が見えるような
讀書移民、、、。
わたしは著しい激しいスロースターなので、構想に20年かけ、実際に行動に移すのは21年目ぐらいだったりして。
まあいい。
21年目に、突然、やっぱりやめよう、と中止するかも知れない。
でも充実の20年となり、あっという間に過ぎるなんてことになると、意外に楽しいに違いない。
何かしても、何もしなくても、そう変わらないとわたしは思っている。
何もしない一生、人生なんて、と後悔したり軽蔑されたりするかも知れないが、人には人の道がある。
社会の役に立つ、あるいは社会を大きく変えた偉人は確かに尊敬に値する
移民台灣方法。
偉人は、偉人になりたくて偉業を成し遂げたのではなく、高い志のもとに行動したら、偉業となり、偉人となった。
当時としては、変人だったかも知れない。
時代の先端を行き過ぎて異端児と見なされることもある。
時代が味方するか、しないか、は、運が大きい。
デッカいことをして世間をあっと言わせたいという発想、モチベーションは、わたし個人としてはあまり共感を覚えない。
順番が違う。
で、それがどうした、という話になってきた。
ブログを書いていたら、時計は進み、もうじき17時だというのに外は明るく青空
新西蘭簽証。
少し前なら、夕方になるとすぐ真っ暗になっていたのに。
自分にも言えるかも。
間もなくすぐ終わる、終わり支度をしなければと思っていた人生は、まだまだ暮れずに明るいのかも知れない。